そのままそのまま

あなたも私もそのままで大丈夫。それぞれの自分らしい人生を味わおう。「私のままで幸せ!」を応援するカウンセラー。心理カウンセラー根本裕幸お弟子6期生。

休むとは?~降参して委ねてみた~

こんにちは。

ブログお久しぶりの心理カウンセラーのつぐ美です。

ただ今、私は根本裕幸師匠のお弟子制度6期生として、心のことを学んでいます。

 

12月になり、みなさん体調はいかがでしょうか?

師匠のお弟子講座は半年間で全6回あるんですが、私は今回コロナに罹患してしまい、今月の4回目の講座をお休みしました。

講座前日にPCR検査で陽性判定、その日から一気に頭痛、咳、倦怠感におそわれ床に伏せっておりました。

今は体調も戻り、若干咳が残ってはいますが復活をしています。

今日は自分にとって休むとは?そして降参して委ねてみたことについて私なり感じたことを書きたいと思います。

 

 

私のお休みまでの道のり

師匠のお弟子制度は後半にさしかかり、課題がてんこ盛りと難易度が徐々にあがってきていて私は日々四苦八苦していました。

講座の初めの頃に感じていた、好きな心のことを学ぶワクワクよりも課題をこなすことが目的になっている感覚でした。

お弟子仲間との比較にもハマり、上がったり落ちたりの波の中で私はなんだか心だけが置いてけぼりの感覚があったのです。

でも、持ち前の頑張り屋根性で「私はみんなより劣っているのだから頑張らねば!」と自分に鞭を叩き、体だけが前へ前へと動き続けていました。

 

そこにきて、コロナに罹患!

私は前日にPCR検査の結果を知り、体調が悪化していく中で悩みます。

「講座はオンラインだし大丈夫じゃないかな。」

「最悪画面オフでも参加させてもらえばいいんじゃないか」

「みんなも色々事情を抱えたまま頑張って参加しいてるし。このくらいの不調で休むなんて頑張りが足りない。」

「でも、こんな不調でグループワークの時仲間に迷惑かけるかも。。。」

「画面オフだと運営の方にも迷惑かけるだろうな」

「ただでさえ、遅れているのにさらに学びが遅れてしまう」

 

などなど、これぞセルフ鞭!といわんばかりの言葉の数々で自分を責めるし、追い詰めていました。

結局講座当日の朝にお休みすることを決め、ギリギリのお休み連絡になってしまったことにも「事務局にも朝活をしてくれる先輩にもご迷惑かけてしまった。」とトドメのセルフ鞭を与えます。

さらに仕事でも出社停止となるため、会社のみんなに迷惑をかけてしまうことにもどんどん罪悪感が膨らみました。

 

ベッドの上で自分の不甲斐なさと参加できなかったことの悔しさで号泣。

 

自分のことを客観視してみると、どんだけ頑張り屋なのか、自分いじめのプロフェッショナルなのかが分かりますが、渦中はそんなことには気づけず。

※ここまででもツッコミどころ満載ですが、この自分責めについては別で書きたいと思います。

 

なぜ、お休みを決めたかというとひとえに「体調がとにかくつらかった!」ということです。

そもそも参加するしないを迷うほどのレベルではなかったのです。笑

なのに私はあーでもないこーでもないと悩み、身悶えていたのです。

自分の体の感覚がどの程度かを理解することすらバグっていたのです。

 

ほんと私、どうかしてるなと。

 



降参して委ねてみる

休むことは私にとって怖いことでした。

私にとっては休むことは=サボること、怠けること=それはいけないこと。という観念を持っていたんですよね。

今まで怖さを受け入れることができずに、その怖いことを頑張りや無理をして、どうにかすることをしてきました。

自分のことならどうにかできないことはないとも思っていたんです。

 

どうにもならないことが起こり、どうにかすることを手放さなくてはならなくなってやっと手放した感じでした。

自分のことすらコントロールできない。

そんなことを考えながらひとしきり悔しさや悲しさを感じながらベッドの上で泣き、気が済むまで感情を感じて、その感情を感じることを自分が受け入れたら、ふと気づきました。

 

今の私にできることは休むこと。

もうそれ以上できることはない。

このままどうにかしようとすることなんてやめて、降参して委ねよう。

まぁ、どうにかなるだろう。

 

そう思えたときにフッと体が楽になっていきました。

 

本当の望み

ここまで書いてきて、全部自分が引き起こしているんだなぁと感じました。

コロナではなくても他の何かで立ち止まることになっていたのかもしれません。

心が置いてけぼりになって体と心が分離している感覚があったことを無視して、冷静に考えてみればあの状態をどれだけ続けられるのか。

こうするべき、こうやらねばと自分を抑えつけながら、学んでも身にはならないんだろうなと思います。

やるとかやらないとかはどちらでもよくて、恐怖や不安で自分を縛りつけて、自分には足りてないからということで行動したとしても本当に得たいものは得られられないんじゃないのかなと思いました。

 

なぜ私はそれをするのか?

 

楽しいから学びたい。

心のことを知りたい。

カウンセラーとしてクライアントさんを応援をしたい。

 

そんなシンプルだった私の望みがいつしか、仲間との比較や課題をこなすこと、やることが正しいことだから、無理して頑張ることはいいことなど、目的が変わっていたようです。

課題をすることも学ぶことも、頑張ることも仲間と比較することもそれは手段であって目的ではないはずなのに。

※ちなみに私は基本、人と比較や競争、嫉妬は悪いものだと思っていません。それによって自分を苦しめるのなら心を軽くするのは必要ですが、自分以外の人がいるからこそそこから学べるものがある、自分との違いを知る、相手のすばらしさを見ているということにもなるからです。

 

最後に

休んで降参して委ねてみたことで、自分の本当の目的を思い出すこととなりました。

ちなみに講座はアーカイブがあるため、タイムリーに参加せずとも講座自体は何をしたのか知れるし、学べるのですがリアルタイム参加を悩んだ理由が他にもあって、それは仲間とグループワークの時間を過ごしたかったからでした。

今しかない時間を仲間と共にすることが私には、かけがえのないものになっているんだということにも今回気づきました。

ただ、まだまだ人とつながることに怖さはあるのですが。。。

つながりたいけど、つながるの怖い。

そんな今の自分の気持ちをそのまま受け入れようと思います。

 

そういえば、今日は新月ですね。

私の住む新潟も全国的にも雪の影響がでていますが、みなさんの地域はいかがでしょうか。

新月は始まりと再生の時ともいわれます。

こんな日は暖かくしてゆっくりと、これからの始まりに心と体を休息させてあげてはいかがでしょうか。

 

 

お前が言うなよ。と自分ツッコミしたくなる、カウンセラーのつぐ美でした。

 

お読み頂きありがとうございます。