心のままにそのままに自由に生きる私になる。
カウンセラーのつぐ美です。
みなさん、自分の好きなものを好きと言えますか?
私は昔、好きなものを好きと人に言うことに躊躇ったり、
自分で自分の好きなものを認めるのが難しかったりしたんです。
そもそも自分の好きなものが分からなかった時代がありました。
今日は好きなものに素直になろうよ、というお話です。
*
2月に入り、お店にバレンタインコーナーが出来ていますね〜。
私は毎年この時期に伊勢丹のバレンタイン催事のショコラモードに行き、
チョコレートを買うことが一年に一度の楽しみです。
スーパーにあるバレンタインコーナーも普段は置かれていない様々なチョコが並び、それも楽しいのだけど、百貨店はスーパーに並ばないようなワンランク上のチョコが並びます。
それはもう!
もうもうもう!!
まるで、宝石やジュエリーかのようなキレイでかわいいチョコ達。
見てるだけで私のテンションぶち上がり!
心が躍る!
ショコラティエが趣向を凝らした数々のチョコレート。
感性の豊かさが溢れた才能の結晶の集まりに感動しながらひとつひとつのチョコレートを見て回る楽しさったらない。
そして、私は誰にあげるでもない、自分のためのチョコレートを買うのですー♡
さて、今年の私のお眼鏡にかなったチョコレートはこちら。

ナカムラチョコレートのナカムラセレクション6個入り。
この他にナカムラチョコレートのダーク4個入りも購入。(写真撮るの忘れた)
かわいい!
すんごく、かわいい!
6個入りは「和」のフレーバー。
真ん中の桜のチョコレートは桜餅のお味なんです。
「桜」ではなく、本当「桜餅」のお味。
あんこと塩気のある桜を感じる、まさに「桜餅」。
新潟の外はまだまだ冬景色ですが、
一足早く春を感じるフレーバーで、ウキウキしました。
眺めているだけでも心が満たされていく。
一粒を大事に味わって頂く至福の時。
香りも良き。
一粒で満たされ感がすごい。
目でも美味しいチョコレート。
食べて美味しいチョコレート。
香りも美味しいチョコレート。
バレンタインのこの時期に並ぶショコラモードに行くのが大好きです。
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好きなものを語る時って、めちゃめちゃ楽しいです。
気持ちも明るくなるし、エネルギーが湧いてきます。
好きなものを「好き」と言うだけなのに、私にはそれが難しく感じる時代がありました。
人に合わせることが当たり前になっていて、いつも誰かの好きなものを
選ぶクセがついていました。
例えば、
誰かとご飯を食べに行くときも、相手の食べたいものや好きな食べ物に合わせて
お店を決めたり。
遊びに行くときも相手が映画を観たいとしたら、そこに合わせていたんですね。
もちろん、嫌なわけではなく、私もそれでいい。
それがいいと思っていました。
さらにとても人目を気にしていたので、
自分がこれを好きって言ったら、変だなって思われないかな。
こんなのがイイのー?と言われたら嫌だなと思って言えませんでした。
好きな男性芸能人を言って、「この人のどこがいいの?」と言われたり、
私はいいと思って着ていた服を親に「変な服着てるね。そんなの買ったの?」と言われたことがあります。
今思えば、それはその人の感じたことで、私が好きであれば関係ないのですが。
昔は、自分の好きなものを否定された感覚になり、自分の感性もおかしものと否定された気がしていたんですよね。
自分の好きなものは人と違っておかしいんだ。
私はおかしいんだ。と思い込んでいました。
それに加えて、人に気を使いすぎるところもあり、
自分を主張することが苦手でした。(今も少しニガテ)
いつも自分が合わせる側だったので、
私に合わせてもらうのは申訳ない。と思っていました。
なので、人に自分の好きなものを好きと人に言うのが難しかったんです。
*
そうした中にいるとだんだんと自分が好きなものが分からなくなっていきました。
人から「何が好き?」と聞かれると、
これを好きだといったらおかしいと思われないであろう、無難なものを言っていた時期もありました。
大して好きじゃないから、話をしても楽しくはないし、
話にエネルギーを感じないから相手も気づいていたんじゃないかな~と思います。
無理矢理感って伝わる人には伝わりますよね。
何よりも自分という色が褪せているのが自分で分かりました。
ボンヤリしていて、自分が霞んでいるような感じ。
周りが自分の好きなものを嬉しそうに楽しそうに話してくれている姿は
とても色濃く、表情もキラキラしていて魅力的に感じました。
そんな姿を見ながら、とても羨ましく思っていました。
私も、自分の好きなものを好きだと言いたい。
私も好きなものがほしい。
そう思うようになりました。
*
しかーし。
いざ、好きなものを見つけようと思っても自分が何が好きなのかが分からなくなっていました。
長年、人に合わせることをしてきたので自分の感覚が鈍っていたのです。
人に合わせること自体は悪いことではないのですが、
そこには「自己犠牲」が含まれていたんですね。
知らず知らず自分の本音を抑え込み、
やりたいことを抑え込み、
自分の感情を抑え込んできました。
それがクセになっているので、感度の針が触れてこなくなっていたんだと思います。
それと、好きなものとは、
・熱く語れる位、誰よりも詳しく語れる位のもの
・毎日でも飽きないもの
・変わらないもの
という観念(ルール)みたいなものがありました。
そうならなければ、好きなものとは言えないと思っていたんですよね。
自分の感度も鈍り、ルールにも縛られていたので好きなものが見つけられずにいました。
*
自分のルールで自分を縛って、生きやすくならないルールなら手放しちゃっていいんですよね。
このルールに気づいた時にもう捨てようと思いました。
自分を幸せにしないルールは手放して楽になっていいんですよね。
別に誰かよりも熱く語れなくても好きだと思っていい。
明日、好きじゃなくなってもいい。
好きなものが変わってもいい。
そうするとグンと好きなものへのハードルが下がりました。
ハードルを下げたところで、自分の感度を取り戻していくために、
1人で出来るところから試しながら、自分にいつも聞いていました。
お菓子を選ぶ時にまずは適当に選んで、食べてみて
「これ好き?どうかな?」
と聞いてみる。
最初は、よく分からなかったんですが、
だんだんと「あ、好きかも」
と思うようになってきました。
それをまずは、食べ物だったり、映画やドラマだったりで見つけていったんですね。
自分の小さな好きを少しずつ見つけてすくい上げていく感じです。
いきなり大きな事やお金のかかることを試していくとリスクが大きいし、
これをやったんだから好きにならないと、となってしまい結局は思考で好きになろうとしてしまうので。
もちろん、試しに自分がやってみたいなら、どんどんやってみてもいいと思います。
人が絡むとどうしても人に会わせるクセが出てしまう人は、
まずは自分1人で出来ることから始めてみるとやりやすいです。

結局、好きなものに理由なんてないし、
「ただ、何なく好き。」
この感覚は最強だと思います。
それは、あなたの感性だし、人にとやかく言われるものでもありません。
例え言われたとしてもそれはその人の感覚なので、それはその人のもの。
自分の感覚は自分のものです。
私は、高校卒業するときに大学に進学するかどうか、悩んだときに好きな心理学を学びたいな~と思い、大学行くなら心理系の大学に行きたいと思っていました。
その事を親に話すと「心理学で、ご飯は食べて行けるの?それを勉強したからって将来その職にちゃんと就けるの?」と言われて諦めた事があります。
親のそのくらいの言葉で、諦めるくらいだから本当は好きじゃないんだろうと思っていました。
そうやって、自分の好きなものをなかったことにしたこともあります。
本当は、好きだったんでしょうね。
こうして、十何年後の時を経てカウンセラーをやっているということが証明してくれています。
好きなものは好き。
そうやって、自分の好きなものが自分に集まっていきます。
自分の感覚を大切にしていきたいですよね。
*
抑圧しすぎて、自分を後回しにして人に合わせすぎて自分の色が分からなくなっていた自分が色を取り戻していく。
人に合わせることも我慢することもできちゃう位、誰かを大切にしたかった自分がいたんですよね。
それも含めて、
私は私でいいんだ。
そんなことを伝えたいと思い、カウンセラーをしています。
カウンセラーのつぐ美でした。
2月のカウンセリングをご案内中です。
今、自分の色が分からなくてもこれからどんな色をも自分に入れることができるんだよ。
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