こんにちは。
心のままにそのままに自由に生きる私になる
カウンセラーのつぐ美です。
6月8、9日と根本裕幸師匠のお弟子限定リトリートセミナーに参加してきました。
お弟子でカウンセラーをしていますが、
正直、参加前はリトリートって何?どんなもの?
と思っていました。笑
よく分からないけれど募集がかかった時に「行きたい!」と
直感で感じて、申し込みをしている自分がいました。
私は根本師匠の6期お弟子で、講座は全部オンラインでした。
生で師匠のセミナーに参加したことも、
カウンセリングを受けたこともなかったので、
生で師匠のセッションを感じる体験をしてみたかった。
同期を含め、他期のお弟子仲間にも会ってみたいと思って参加しました。
リトリートを終えて、自分の中に今ここにあるものは
「見ないようにしてきた課題」を見ることになりました。
*
前泊で東京入りをして、東京に住んでいる同期に会いました。
久しぶりに会う同期とランチ、お茶、ディナーと1日食べ通し。
会ってなくても今まで会っていた友達かのような感覚がある同期。
その感覚が面白くて。
お弟子講座期間中から、オンラインで交流は続いていたからか、
同じ好きなものを共有しているからか、自然と話ができることが
うれしかった。
ディナーの時には、同期が私の結婚と先月のお誕生日を祝ってくれました。
私は自分が輪の中心となることや注目されることが苦手。
どうしていいのか分からなくなるんですよね。
うれしさと恥ずかしさでいっぱいになり、リアクションがぎこちなくなる。
たぶん、外向きにはうれしそうに表現できているから、
あまり人は気づいていないかもしれません。(たぶん)
でも、心の中はここから逃げだしたい気持ちでいっぱい。
汗もでてきます。脇汗ビッショリ。
「私を見ないで。」
「私に注目しないで。」
「私のことはいいから、みんなで話して。」
「お祝いしてもらうなんて、申し訳ない。」
という感じ。
なんて、受け取り下手なんでしょうね。
みんなが用意してくれたデザートプレート。
すごく優しいあたたかい、みんなの気持ち。
私をお祝いしたいと思ってくれた気持ち。
大切に思ってくれているんだなぁ。
と分かっている。
分かっているから、
逃げ出したい気持ちを堪えて
今、私がみんなにできることは「受け取る」ということ。
*
今でこそ、受け取ることも愛の表現であること、
逆に受け取ってもらえなかった時の悲しさを知っているからこそ、
受け取ることの大切さを感じています。
私には与えてもらう資格はないし、価値もない。
与えてもらっても返せるものがない。
そんなふうにずっと思ってきました。
そして、
「これじゃないもん。」
「いらないもん。」
「どうせ、またくれなくなるんじゃん。」
と拗ねていました。
誰も私に与えてくれない、私は与えてもらえない存在だ。
与えてもらうだけの価値がないんだ。
と、周りを敵として見たり、
自分を落として孤独の線路を特急で進んでいく。
まぁー、しんどかった。
みんなが与えてくれないんじゃない。
私が向けてくれる愛を払いのけてきたんですよね。
そんな自分が昔いました。
*
私が一番、自分の価値をみていなくて、自分のことを信じていない。
愛されるわけがないと思い込んできていたんです。
いつもここにあったのに。
私が自分を許して手を伸ばせばあったのに。
今までどれだけの愛を受け取らずにきたんだろう。
周りを悲しませてきたんだろう。
自分を悲しませてきたんだろう。
とはいえ、すぐには受け取れるようにはならなくて。
今回もそうだけど、受け取ることから、
「逃げたい、こわい、うれしい、恥ずかしい」の心中大騒動。
それでも、いい。
そうなってもいい。
だって、それが今の私だから。
そんな中でも受け取ることができたんだから。
そうやって、また自分を受け止めてあげればいいんですよね^^
*
私がカウンセリングで常にクライアントさんの価値や魅力を
伝え続ける理由。
自分ではなかなか認められないし、
気づけないものだからこそ、
言い続けられたら、
「そんなことありません。」が、
「そうなのかも?」になり、
「そういえば、他の人にも言われたことがるかも、、、」に気づき、
「私ってそうなんだぁ」に変わっていく。
頑なに否定的だった自分の価値に気づいていく。
私は愛されないと思い込んでしまった勘違いに気づいてほしいから、
しつこいくらいに私は伝え続けます。
愛されているから、今ここにいるんだよ。
ひとまず、リトリート前日の気づき。
カウンセラーのつぐ美でした。
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